ふりむくわけにはいかないぜ

生きてる日々の色々なことをただ記しています

気を遣われるということ

気を遣われることが嫌いだ。

正確に言うと

気を遣ってることがバレバレの状態

が嫌いだ。


例えば職場の人とか、子ども絡みとか、大して深く付き合う訳では無い、あるいは自分が選んだ交友でない場合はまあ仕方ない。


この人と親しくなりたい、と思って向き合った時に、こちらが素を出せないほど気を遣われると
「寂しいな...」
と感じてしまう。


でも、自分の要求を口にしたり、主張をすることが苦手な人の方が多いよね、日本人。
だから、最初のうちは様子見してる。

そして、私は思いっきり開けっぴろげにしてる。

それは図々しいとは別で(いや、もしかしたら「同じだよ!」って思われてるかもだけど)、自分がどう思ってるかをきちんと伝えるってこと。

気を遣われると、
こう言ってるけど本当のところはどうなんだろう?
って慮る必要が出てくる。

良かれと思って相手を立ててるようでいて、相手にも気を遣わせてるんだよね。
なんか堂々巡りだし、本末転倒。


だから、仕事とか地域の人とか、そういうしきたりだったり序列があるような場所では必要かも知れないけど、
これから対等に友達になろうという人には、あんまり気を遣われると仲良くなれないじゃーんと思ってしまう。

早く本題に入りたいし
余分な探り合いの時間がもったいない。

お互いの「本当」で付き合いたいから。


私が「本当」で向き合うと、大抵の人は「本当」を返してくれる。
それはもちろん全部を包み隠さず教えるってことではなくて
この扉は開けないよ〜ってことも含めて、きちんと向き合ってくれるってこと。

そうなると、グッと近しくなり、色んな話も面白くなる。
例え全く違う価値観でも、「本当」を伝えあってるっていう連帯感がある。


気を遣われ過ぎるって、ようは信用されてないような気がするんだ、私は。


私が信用されてないのか、その人自身が、
「本当を出しても受け入れられる自分」
を信用してないのかは、分からないけど。

本当の自分を出しても、大丈夫って実感、持ててる?