ふりむくわけにはいかないぜ

生きてる日々の色々なことをただ記しています

太陽

あみちゃんって、太陽みたい

 

よく言われる

友達にも、会社でも

 

明るくて元気で面白くて

あたたかくて懐深くて

いつも見守ってくれてる

 

ありがとうねって

 

 

でも太陽って

眩しくて、眩しすぎて

強すぎる

 

 

みんな陽の光が好きだけど

でも夜が来るとホッとする

 

陽の光に当たりすぎると

枯れちゃう時もある

 

 

友達に

あみちゃんは強過ぎて正し過ぎて

あみちゃんは間違ってないけど

何だかそばにいて辛くなる時があるって

これまで何人にも言われてきた

 

そのまま離れた人もいるし

それでもずっと

仲良くしてる人もいる

 

部下には

上長はすごく頼りになる

いつも見ててくれて

居ないと困る

でも見られてるって緊張する

そう言われる

 

仕方ないよな

太陽だもの

もう変えられないんだ

ずっと輝いて

ずっとみんなを照らすよ

 

焦がしちゃったら、ごめんよ

 

私は私で、このままいくよ

太陽の宿命だからさ

 

 

 

 

オレには分からない(本当はちょっとわかる)

ここで記すことはあくまでも私の考えや感じたことです。
誰かを批判したりするつもりは毛頭ございませんのでご了承くださいませ。



うちの長男(発達の特性あり通院中、障害手帳はなし)は、3月に大学を無事卒業し、それと同時に就職…は出来ずに、就労移行支援事業所(*)に通っている。

*就職に向けて訓練を受ける福祉サービス

本人に合わせた訓練、支援を受けながら就職に向けて頑張っているのだから、とりあえず4月から通えるところあって良かったねぇ、無理せず頑張りや、と思っている。


で。
先程、仲良し友達の息子君の就職が決まった、と知った。

いやーーめでたいよね。
友達も大変喜んでビールを開けてて(ちなみに息子君はいま不在)、そんな友達も大好きで、ますますめでたい。

と、ホクホクしてた時に、思い出した。


世の中ではこういう時、お互いに気を使って、就職決まったとか決まってないとか、言い合えない関係があるそうな。

受験とか、就職とか。
まあきっと、子どもの結婚とかも。

……

………

……………


なぜ?????

知らない間柄ならともかく、仲良しの子なら単純におめでとうだし、逆の立場でも素直に教えて欲しいけどなぁ、気を遣わず。

実際、息子たちの受験の時は何も気を使わず友達と報告し合ってたけど。

あそこのお子さん就職してないから言えない…
とか思われてる方が、友達だと思えないけどな、私なら。あくまで、私なら。

で。

私がこの手のことに違和感を覚える理由は2つあって。

1つめは、さっき言ったように
「そんなことでお互いの気持ちを探り合う、その気遣いって本当に友達?」
と、私は(私は、です)思ってしまうから。

2つめは、そもそも受験や就職で人生の価値が決まると思ってないし、今は躓いてる(ように見える)ことが、何年か先にどういう見え方に変わるかなんて分かんない、と思ってるから。

第一志望じゃない学校に入ってみたら良い仲間や恩師に会えた、なんてこともよくある事だし、その逆も然り。
みんなそんな経験のひとつやふたつあるはずなのに、何でそんなに拘るのか?という思いが私にはある。

自分のことでも息子たちのことでも、
「残念だったねぇ…」
と思うことはそりゃあるが、割と直ぐに
「この経験にはきっと別の意味があるのね」
と切り替える。

もう自分の力の及ばないことで悩むのは無駄だし、頑張ったこと自体は無にならない。
結果が残念だったなら、なおさら次の道に意味を持たせれば良い、と思っちゃう。

ということで、うちの息子がいま働けておらず訓練を受けていることにも、大きな意味があるのだろう。

そう言えば当の本人も
「あのままもし働いてたら続かなくて、きっともっとダメージ受けてだと思う」
と言ってるので、そんな自分に気付けて、向き合える機会を持てただけでも良かったじゃん、とも思う。

というわけで、私には件の気の使い合いが分からん。

と言うのはちょっとウソで、ちょっとは分かる。

例えば
「自慢してるって思われるんじゃ」
とか。
「傷付けちゃうじゃないか」
とか。

「言った自分が嫌な思いをするのを避ける」
ももちろんあるだろうけど、
それよりは、
「言われた人が嫌な思いをして結果的に自分が加害者のようになるのが嫌」
って思いが強いのかな?と推測する。

そうじゃない理由ももちろん色々あるとは思う、

私はとにかくこういうことに関しては
「変わり者」
のようだ。
そういう、人と人の間の機微に疎い。
というか、疎いふりをしている。
あるいは、分かった上で率直に話すようにしている。

おそらく私の方がマイノリティなのだろう。

でもね。
この考え方、すっごい生きやすいよ?

意図的に誰かを傷付けるつもりないなら、素直に生きるのがいいなーと、そんなことを思ったのでした。

最後に。

お友達の息子君、本当におめでとうー!
お友達〜、これにかこつけて今度、遊ぼうぜ!!

フーーーッ

日本の「フーーーッ」界の最高峰は何か。

数ある名曲の中、数ある「フーーーッ」の中、
これはもう決まりきってると思うんですよ、本当。


たぶん皆さんも分かってると思うんです。

あれしかないですよね?あれしか。









そう!!


それ!!!




スピッツの「チェリー」における「フーーーッ」ですよ!!



以下、該当の部分です



どんなに歩いてもたどりつけない

心の雪でぬれた頬

悪魔のふりして 切り裂いた歌を

春の風に舞う花びらに変えて




フーーーッ





はぁ……


こんないい「フーーーッ」ある??

他の「フーーーッ」に嫉妬されてない?大丈夫?


自分でも、まさか「フーーーッ」に産まれて
こんないい思い出来ると思ってなかったよね
きっと。


だって場合によってはさ、

会社で3年目くらいの部下からバカにされてさ
上司にはガミガミ怒られてさ
帰り道の

「フーーーッ」

だったかもしれないわけじゃん?


まあ良くて可愛いお子さんの
熱い飲み物を飲む時の懸命な

「フーーーッ」

ですよ。


それでもかなり、周りの「フーーーッ」からは

「お前は恵まれてるよなー」

とか言われて鼻高々だったはずよ?



それが!!

それがこれですよ!!!


はーなーびーらーにー
かーえーてーーー

フーーーッ



分かる?

これが「フーーーッ」界のトップじゃなかったら
何なのと聞きたい(日本に限る)


そんなことを思いながら

曲を聴いとりました。(どんなだよ)




*ちなみに


「ラララ」界では、

言わずもがなの、鉄腕アトム

同じくスピッツの「スパイダー」における


だからもっと遠くまで君を奪って逃げる
ラララ千の夜を飛び越えて走り続ける

の「ラララ」が二大巨頭です。


似たもので、スピッツの「ロビンソン」における

「ルララ」

はどうなのか?という話もありますが

「ルララ」界はまだ人口も少なく
成熟されているとは言えず

今回の議題からは外させて頂いたこと、ご了承ください。

f:id:amiami1212ami:20210403211614j:plain

花見してきた。


外で飲んだり食べたり、寝っ転がったりするのは、何故にこんなに良い気分なのか?


普段はしないことだから?

単に開放的だから?

動物的本能?


何でも良いけど、とにかく良い気分。


暑いほどの日差しを、時おり雲が遮って

風が吹けば花びらが舞い

視線を落とせば、そこにも花


こういうのを幸せと言うんだろうな



不幸はインパクトがあるけど

幸せは些細なことの積み重ね


あー生きてきて良かった

そう思った昼下がり

何に対しての「いい」か

息子たちが保育園児だったとき、
同じクラスのお母さんたちととても仲が良かった。

仕事も年代も、これまでの歩みも全然違うのに、
「同じ年の子どもがいる」
それだけで、まるで長年苦楽を共にしてきたような
濃い付き合いができた。

色んな話をして、例え自分と価値観が違っても
お互い大人だから認め合えたし
違う価値観だからこそ、支え合うことも出来た。


その中で、一つだけ
今も相容れない価値観がある。

子どもには
いい大学に入り、いい就職先を見つけて欲しい
という、価値観。

いい大学、いい就職先
が、その子にとっての唯一の
いい大学、いい就職先
なら分かる、私にも。

まあその場合、大学に限らないだろうけど。

でも、この場合の
いい大学、いい就職先
って、
世間のモノサシでいう
いい大学、いい就職先
だよね。

なので、なんで??
なんでそう思うの??
と、全く分からなかった。

実際、いわゆる有名どころのいい大学を出ても
幸せになるとは限らないって、もう分かってるじゃん。

逆に、自分が納得できる道を選んだなら
いい就職先、と言われないところでも
幸せに生きることができるって、もう分かってるじゃん

分かってるのに、なんで?

子どもが望む道を応援してあげたい、とか
行きたいと言った時に行けるように
お金を貯めといてあげたい、とか
そういう言い方なら分かる。

そうじゃく、とにかく
いい大学、いい就職先
って言われると、全く相容れないなぁ。

いい、か、悪い、かは
自分で決めることでしょ?

誰かから見て、いい必要は、ないでしょ?

誰かから見られ続ける
そこに価値を置くのはしんどいよなぁ

誰か、なんて
実在しないのだから。

実在しない誰かの目を気にするより
自分ともっと、向き合った方がいいよ

伝えるべき思い

とあるドラマを観ていて、ふと漏れた言葉。

「好意は何度も口にしなくてはダメ
嫌悪は黙ってても伝わる」


大切に思ってる
ずっと心配してた
そのままのあなたで良い

生きてるだけで、それでいい


どれも、家族や友人や恋人など
ごく親しい人に抱く思い

慣れ親しんだ関係の人に抱く思い

慣れ親しんだ関係だからこそ
わざわざ口にしない
敢えて言わない

当たり前すぎて
伝わってると勘違いしてしまう

でもやっぱり伝わってなくて
些細なことから関係が壊れていく

大切にしてるという言葉の代わりに
嫌悪はあらゆる言葉で伝えてしまい
態度にも思い切り出てしまい
しまったと思った時にはあとの祭り


当たり前の、伝わってるはずの好意こそ
何度も口にしなくてはダメですよ

事細かに
そんな事まで言わなくてもということまで
しつこく伝えなくてはダメですよ


私は今日
そのとあるドラマを観て
「もちろん就職してほしいし
出来れば正規がいいだろうけど
もしそうでなくても、例え就職できなくても
貴方自身の生きる価値とは何も関係ないから」
と息子に伝えました。

それを聞いて息子は
「母さんがそうやって
いちいち言葉にしてくれるから
今の俺があるよ」
と呟いていました。

これからもいちいち言葉にして
大切をかみ締めていこうぜ。

「天使にラブソングを」が凄い

天使にラブソングを」を観た。

金曜ロードショーで。

 

その昔、何度か観たことがあるし

とても良い映画だった記憶はある。

 

でも最近は本当に何でも忘れてしまうので

この映画も「とても良かった」

としか覚えてなかった。

 

がしかし!今回は!!

 

これ、自立と尊厳や、親子関係、他文化との共存などなどをテーマにした、壮大なストーリーじゃん!!!!

と痛く感動してしまった。

 

 

修道院で静かに暮らすシスター達を娘、院長をその母、と捉えると、母と娘の親離れ子離れ話とも言える。

 

院長を母世代として見ると、

娘を自分の価値観の中で育ててるのは、娘の幸せを願ってるからではあるんだよね。

 

で、神や宗教を、祖父母や先祖、慣習や文化と読みかえると、院長(母)もまた、その上の世代の価値観の中で生きてきただけなんだ、ひたすらそれを信じてきたんだ。

 

一方、娘たちは母の教えを信じてるし、その教えに疑いもない。私達は守られているし、幸せ。それでいいはず。

 

そこに、ウーピー・ゴールドバーグ演じるテドロスが、新しい価値観を吹き込むわけだ。

 

母(院長や宗教そのもの)の価値観の中で生きていた娘(シスター)達は、初めて自分で「与えられたものでない」価値観を選び取る。

 

みるみる活き活きしていくシスター達を後目に苦々しい顔をし、平穏な毎日に新しい価値観を運んできたテドロスを忌々しく感じる院長は、娘が自分の手の中の籠から飛び立つのを止めようとする母じゃん!

 

ドロドロした話だと、娘が母に恨み節を始めるところだけど、

この映画の良いところは、シスター達は院長を憎まないんだよね。

 

変わらず院長を尊敬しながら、歌うことの楽しさ=生きている楽しさに目覚めていく!

「自分で生きていく」ことを知っていく!!

 

聖歌隊の歌声が美しくなると同時に、シスター(娘)達は自立していくように思える。

 

どんなに縛られていても、現実でもこんな風にしなやかに母の手から自立できたらいいのにね。

 

母の思いを知り、受け継いだ価値観も受け止めながら、新しく得た自分の価値観と融合させていけたらいいよね。

 

 

で、もう一つこの映画がちゃんとしてるな~と思うのは、テドロスとシスター達の関係の描き方。

 

母の価値観から抜け出し、新しい価値観を得たように見えても、ともすると単に依存先が母から別のものに変わっただけで、真に自立した訳じゃないってこともある。

 

思春期とかに親をうるさく感じて、友達にどっぷりハマり過ぎる経験って、割と皆あるのでは?と思うんだけど、

あの時期って親の価値観からは脱皮するけど、まだ独り立ちは出来なくて、拠り所をお互いに探してる、そして依存しあってる、みたいな友達関係だよね。

 

あと、せっなく毒親から逃げ出しても、生活力のない、世間から見たらダメダメな異性に依存してしまう、とかね。

 

それ自体は必要な時期なのかも知れない。

そこでの濃すぎる他者との関係や摩擦等を経て、だんだんと自立していくのかな、とも思う。

 

でも、正しい依存の先には自立があるけど、ずっと誰かの価値観の中で生き続け依存し続けていては、いつまでも「自分」にはなれないんだよね。

 

映画でも、最初の方はシスター達はテドロスに頼りっぱなしに見える。

テドロスによって、次の道をただ示され、それに従ってる感じ。

 

でも後半、テドロスを悪者から守る描写が、新しい相手に依存し続けるのではなく、対等に人と向き合う、お互いに自立した人間同士になってるのかな、と思えた。

 

さらに理想的だなぁと思うのは、テドロスを助ける時、院長がリーダーとなって先陣を切るところ。

 

あんなに忌々しく思ってたし、歌うことの喜びを知ったシスター達を見て

「自分にはもう役目がない」

と拗ねていたのに。

 

これってまんま、娘が巣立つのを見て抜け殻になる母、だよね。

空の巣症候群みたいな。

 

でも、院長は危険を冒してまでテドロスを助けようとする。

もちろん共に過ごした仲間として、ひと時でも自分と一緒に神の教えを乞うたシスターとしてってのもあるけど、明日に一世一代の晴れ舞台を控えたシスター達(娘)を助けることにも繋がってる。

 

自分から娘(シスター達)を奪った価値観(テドロス)であっても、最後は娘(シスター達)を守るためにも、その価値観(テドロス)自体を守るってのが、本当に理想的だなぁとしみじみしてしまった。

 

娘(シスター達)側は新しい価値観を得て、自分の足で立つことを選びつつ、母(院長)を嫌わず、その眼差しに感謝を忘れない。

さらにこれまでの慣習や文化(神や宗教)にも敬意を表し続けている。

 

母(院長)側も、最初は娘(シスター達)が変わっていくことを受け入れられなかったけど、その瑞々しい、生きる喜びを爆発させる姿に考えを変えていく。

 

私は母世代と娘世代のストーリーとして観ていたけど、もちろん黒人と白人の文化の共存という風にも観られるよね。

 

古い価値観も新しい価値観も否定するのではなく、それぞれを尊重していくことの大切さ、温かさ。

 

自分が何を選ぶのか、何に喜びを感じるのかを知った人間の強さ、美しさ。

 

過去を憎まず、変化を恐れず、

「私が幸せになれるから」

を基準に、強く、美しく、しなやかに生きていきたいね。