ふりむくわけにはいかないぜ

生きてる日々の色々なことをただ記しています

何に対しての「いい」か

息子たちが保育園児だったとき、
同じクラスのお母さんたちととても仲が良かった。

仕事も年代も、これまでの歩みも全然違うのに、
「同じ年の子どもがいる」
それだけで、まるで長年苦楽を共にしてきたような
濃い付き合いができた。

色んな話をして、例え自分と価値観が違っても
お互い大人だから認め合えたし
違う価値観だからこそ、支え合うことも出来た。


その中で、一つだけ
今も相容れない価値観がある。

子どもには
いい大学に入り、いい就職先を見つけて欲しい
という、価値観。

いい大学、いい就職先
が、その子にとっての唯一の
いい大学、いい就職先
なら分かる、私にも。

まあその場合、大学に限らないだろうけど。

でも、この場合の
いい大学、いい就職先
って、
世間のモノサシでいう
いい大学、いい就職先
だよね。

なので、なんで??
なんでそう思うの??
と、全く分からなかった。

実際、いわゆる有名どころのいい大学を出ても
幸せになるとは限らないって、もう分かってるじゃん。

逆に、自分が納得できる道を選んだなら
いい就職先、と言われないところでも
幸せに生きることができるって、もう分かってるじゃん

分かってるのに、なんで?

子どもが望む道を応援してあげたい、とか
行きたいと言った時に行けるように
お金を貯めといてあげたい、とか
そういう言い方なら分かる。

そうじゃく、とにかく
いい大学、いい就職先
って言われると、全く相容れないなぁ。

いい、か、悪い、かは
自分で決めることでしょ?

誰かから見て、いい必要は、ないでしょ?

誰かから見られ続ける
そこに価値を置くのはしんどいよなぁ

誰か、なんて
実在しないのだから。

実在しない誰かの目を気にするより
自分ともっと、向き合った方がいいよ